東京でのオリンピックも終わった。今度はパリで、戦後初の殆ど百年ぶりの開催となるというのには驚いた。敗戦国日本は、戦後二回開催したというのにである。それはともかく、今回もオリンピック開催中は、純粋に人間的なと言ってよいエモーションを、人は経験することができただろう。そして、義理堅い人々は、こういう状況のなかで競技できたことに感謝する、という強いられた言葉を返すことを忘れなかった。人口削減計画実施のなかで、ということなら、みごと、家畜の役を演じてみせたということになろう。もちろん、意識してしたたかに、であることは、かれらの様子をみていればわかる。感謝をしてみせたのである。 閉会式後は、ウイーンとベルリンの今年の夏の野外コンサートの録画をTVで観た。二つの場所とも、楽団員・観客とも、マスクをしている者はただのひとりもおらず、距離感への意識もまったくなく堂々と自然であったことが、たいへん気持ちよかった。何度も、今年の録画かと確かめた。今年のものだった。その証拠であるかのように、演奏後、花束の贈呈者だけが、マスクをしてそれを贈った。 人間は賢くなった。 自分が何であるかは自分が選ぶ。