日本という人間未成熟な国においては、政治もまた、それに携わる者を人間として逸脱させる。国民を逸脱させる為政者自身も、逸脱するのである。ほかの西欧諸国の政治家が、人間としてもどうしてああ悠々堂々としているのか、その理由は、国家としての日本をどう守るかという強迫観念に固まった維新当時の日本人の精神態度からは、理解も憶測もできないことであったのである。森有礼ほどの人間においても、そうであった。最初の妻との離婚の原因も、そこにあったと、ぼくは敢えて推断する。国家の維持発展に直接役立たないような種類のものは、学問・芸術であってもこの際用はない、と、文部大臣としても言いきれる姿勢からは、とうてい、真の文化国建立は不可能であった(その精神のねじれが、いまも続いている)。これは日本国民すべての問題である。森の孫である有正が、同様に西欧に関わりつつ、政治とはまったく無縁の哲学思想において、日本の精神的空隙をすこしでも埋める仕事に没入したことは、われわれにとって慰めとなる事実なのである。