(他を好んで批判する気が無くなっているので、参照程度として書く。)
現代の偽哲学として、スピリチュアリズムの言うことを時々チェックしていたが、いまではそれも億劫になって、というより、言うことの不自然感がいやになって、記事の題すらチェックしないようになった。一言で言うなら、思いが先にあって、現実が結果である、という、その根本主張が、どうにも不自然でアレルギーを起こさせ、無関心、無視へと移行している、というのが、ぼくの現状なのだ。すべてのかれらの発想の源流である谷口雅春氏の言葉なら、まだ遙かに素直に読める。ところが、その亜流と云ってさしつかえない かれらの言説の雰囲気は、谷口氏の説き方の真摯さすらなく、おいしいとこ取りの現世主義なのに、根本主張だけは押し通そうとするので、意識のひねくった不自然さだけがよけい感じられるのである。 その正体は判っているのに時々眺めていたのは、現代の状況への対応に、まともな感覚が働いている面があるからである。しかしその発想の基はつかめているので、読む必要もなくなったのである。
かれらの根本主張そのものがトリックであり詭弁なのだから、かれらに問いを発することじたいが無意味であることに、読み手も気づいたらよいのだが。そしてもうかれらから独立してかんがえよう。
現実(もの)に即して働くのが、真の思惟である。 人間の身の丈に合った精神思想も、そこから立派に開花する。