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初再呈示 

 

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正常とは何をもって言うか。ぼくの良識の観点から言えば、正常者は稀にしかいない。社会的にどうにか許容され我慢されているだけの者を正常と言うのであれば、つまらない話である。人間は、正常であるべく、良識に適うべく、努めているのみである。良識からまったく外れない者などまずいない。常に良識に立ち返ることのできる者を正常と言う。ところで、どれくらいの者が、「立ち返るべき良識」というものを自覚しているだろうか。ほとんどの者は、「立ち返るべき良識」そのものに無知であり、自分が良識と思い込んでいるものに、錯覚的に安住しているにすぎない。なまじ社会的に許容され我慢されているゆえに、自分は良識を心得ていると自惚れている者がほとんどだ。 ぼくは、常に自分が良識に立ち返ることのできる人間であるだけで充分であり、それに自足しているよう努めようと思う。いたるところでデカルトはぼくの手本である。正常者は、自立していて孤独である。ぼくいがいの者のほとんどは狂人であると仮定しておいてよいのである。デカルトの懐疑の本意はそういうところにある彼の「自動機械人形」とは、外的力に操られている者のことである。〔その自分ならざる力は、文字通りに「外」にも、自分の「内」にもある。いたるところに浸透している「習慣」の働きもまたそのような外力であり、これに警戒しないと、人間の知的活動力も真の知性の証左にはならない。これをあきらかにしたのがメーヌ・ド・ビランの『習慣論』である。〕 

 

 

良識とは真の哲学的分別である。