「三四郎」で漱石が熊本出の三四郎を自他ともに田舎者と認めさせていることに、ぼくは抵抗感を持った。漱石自身が東京生れなので、地方を舐めているところがある。彼自身の南下経験が熊本止まりだが、おとなしい三四郎に、熊本は野蛮なところですと平気で言わせている。鹿児島などは圏外というところなのか、御一新の本拠地だったので、出したくなかったのだろう。ほんとうの田舎者は反骨心があってこわいものである。そういうところが三四郎には全然無い。 

(初代文部大臣・森有礼が明治憲法発布の年に暗殺されたことが、登場人物の秘密に引っ掛ける形で後半に話されることが、この小説で唯一、鹿児島に関わるものであると言えば言える。それと、小説冒頭で語られる「日本は滅びる」という思いの実質とが、関係し合うものであるのかないのか、読む者のかんがえに委ねるようにしてあるようだ。)

 

題の選択肢にも筆頭にあったように、作者みずから書いている如く、読む気の起こらない「三四郎」よりも、「青年」のほうが題としてよかったとおもう。(「本郷物語」でよいと誰もが思うだろう。)

 

 議論の種になるところよりも見聞を広めるところが多いのが この本の良いところなので、このくらいにしよう。 謎が謎のままにされているところが多い。