一日一日生きているだけですべてだというふうには、じつは人間は造られていないのではないか。そうでなければ人間は思索しないし、自分というものをかんがえないだろう。思索するから落ち着かない、と言って、思索を止めてその日その日になりきって悟った気になるのは、どういうものだろうか、と逆に問うことが、人間にはいつでもできる。 

 

そういうことをさっき記しておこうと思いながら、いちど完全に忘れていたのを、いま思いだして なんとか記せたのは、幸運だった。