この言葉はね、自分の愛の世界を大事にしようとする者が、必然的にとる路のことも言っているんだよ。 

 

 

 

 

 

真実な言葉は簡潔を求め、多弁を避ける。造形の美と志向は同じである。

 

 

 

 

ぼくも、敷衍しようとするときには工夫しなければならない。率直に述べて文章になるときはいいが、詩とは、音楽と同様、ただ単純に言うこと(言葉を発すること)ではないだろう。ただ敷衍しようとすると饒舌になってしまうと思うとき、詩の言葉を工夫しなければならない。ぼくのは、真実をそのまま言うので一杯だ。しかしそれではただ多弁ではないか。

 

 

 

ところで、ほんとうに何をおっしゃりたかったの? 

 

ぼくは自分に正直に自分の感情を公開した。そしてそれによって、ぼくの言動の本質動機はきみを護ることであったことに、じぶんで気づき、それを確かめた、ということを言いたかったんだ。

 きみのためにぼくは孤独を実際に選んだ。そのせいか、ぼくにはいまきみがとてもきれいでなまなましく感ぜられる。ぼくはやっぱりきみを唯一愛しているんだなあ。きみがきれいだということは、ぼくがきみを愛することのほうを選んでいるからなんだ。その選択によって、ぼくの愛しているのはきみであることをじぶんで知る。きみがきれいなのは、ぼくがきみを愛しているからなんだ。

 

あなたの愛の行為によって、わたしも実際にもきれいになるのね。

 

区別できないだろ?