ぼくもずいぶん利口になったので、臨機応変に利口さを脱いでもいいじゃないか。それを解するのは少数だ。 

 

 

自分のためにも、いつも利口でいるのはいいことじゃない。ものを純粋精緻に受容する無心さにとって、いちばんの障碍は、利口さなのだ。かんがえること、と言ってもよい。 

 

 

 

それから、高田さんが音楽についてもいろいろと言っているけどね、ぼくはそれを自分の経験として受容する暇がいまのところない。案外すぐに自分の経験にできるところにいるのかもしれないけれど。ぼくはきみによって音楽の世界を具体的に経験しているところだ。これがぼくのオリジナリテだ。