生涯に、ただ一度だけでも、親の自我的感情から、親に暴力を振るわれた人間は、その記憶と印象が意識に刻まれているかぎり、ほかのどんなことがあっても、親に良い感情をもつことはないのがほんとうだろう。この例からも、それなのに、この国の人間は何と健忘症なのだろう、と気づく。なんと正直に自分に即して思想形成していないことだろう。この健忘症は、教えられた観念に生涯屈服していることが原因である。この国の生活における言動のすべてが、自分を忘れたふりをした、劇のものまねなのだ。保守派の言説の退屈さに、それがよく現われている。よく、いまごろ、心にもないことを、と呆れる。ぼくも政治的には保守派だが、それは、国際現実にぎりぎり対処するためであって、保守派の観念形態にまで同意してはいない。保守派にして保守派に非ず、である。