みんな、我こそは 我こそは、なのである。そして殆どは偽物である。力量の問題ではなく、誠実な反省が不足しているのである。慎ましさが欠けている、それでプライドだけはある。それで通じるほど甘くない。これこそじぶんのせいであるから、他ではなくじぶんを責めるべきなのに、それができている者などいない。「すべては自分の責任」なのである。同じ言葉を、スピリチュアリストは訳も解らず使っているが、かれらの思っているようなものではなく、もっと人間的な、慎ましいその意味を解さなくてはならない。