現在のワクチン接種の是非について、医師も、個人的には、という言い方でしか判断できなくなっていることを、きょう聞いた。医師としては、という言い方が出来なくなっている、ということであり(この医師自身、二度目の接種で筋肉痛を起こしたそうだ)、それなら、ぼくが、ぼくとしては、と言って表明するのと同質の判断でしかない。この具体例をもって、現在のワクチン接種という社会的問題に関する学的見通しの明確性は崩壊している、と断じざるをえない。

 

いまのところは何ともないと言っている高齢者もいれば、副反応を示す働き盛りもいる。基準になる他者例は無い。各自、じぶんの「感じ」に従うしかない。そうこうしているうちに、貴重な「自分を生きる」瞬間の機会は過ぎてゆくのだから、勝者も敗者もなくばかばかしいことだ。

 

いちおう書き留めておく。 現状はこういうものである。 

 

 

 

 

思い出みんな捨てている ひまつぶしいじょうに何をしていますか