学校で同じ学級だったということと、兄弟であるということとは、本質的に同じことである。同じ学級や、兄弟でも、個々の路は違ってくる。人間は、自分の路しか知らない。そこで、同じ学級だったからと言って、旧知の路にたいして容喙する者はいないだろう。一方、兄弟のほうは、まだ平気で、兄弟だからと言って相手の世界に容喙する傾向がある。ほんとうは親も、子供が大人になったら、その世界に容喙してはならないのだ。人生観の違いは肉親の絆を断つほどではない、と言うのは、全く甘いかんがえで、人生観が違えば、親も赤の他人いじょうに無縁な人間か敵になる、というのが、ぼくのかんがえであり、意識である。いわんや、人生観的に容喙する兄弟というのは、最も危険な関係であり、古来、兄弟こそ殺し合っていたことは、歴史の基本的知である。肉親から独立できていない民族というのは、幼稚なのである。 同窓会などに行ってどうするのか。各々、じぶんだけの路を、どうやって旧知に説明するのか。兄弟にだって説明できないものを。