自分の運命力への信頼は、自分を肯定する究極の方法である。なぜなら自分自身を自分も知ってはいないから。 

 

 

《ヴァレリーが「永遠のスファンクスなる自我」と言っているように、「純粋自我」なるものはそれほど安易に「実存」させ得るものではない。》という、『彫刻と私』の文章を想起。 

 

 

 

 

仕事のできる状態に自分をもってゆく行為も仕事である。その行為はただ手段としての意味のみ持つのでは断じてない。つまり、仕事は、仕事そのものに意識を留めて解するかぎりで、人間のすべての行為の果実なのである。