その時その時の人間交流がうまくゆくかどうかは、じぶんの実力だけに掛かっているのではない。もっと言うと、じぶんの実力は じぶんの自由のみに拠っているのではない。その時の流れ・状態によるのだ。不完全な自分として、失敗のようにおもえる最善を果たしたら、切り上げて即、自分の仕事に戻り、仕事をすること。仕事はいつも独りのものだ。天の評価さえも、仕事をする自分にとってはどうでもよい。どうしようもないではないか。じぶんが責任を負えるのは仕事のみだ。