ひとがものを知るのは、偶然に偶々ではなく、潜在意識において或るものを知る必要が生じて知ろうと欲し、それを知ることへと顕在意識が暗黙裡に促され導かれて、顕在意識においてその知が出会われる、これが、ひとがものを知るということなのである。そこには、知るという行為の「超越論的プロセス」と呼ぶべきものがある。偶然に偶々知るのではどうもないようだ。自由に気儘に動いているつもりの顕在意識には、この暗黙裡の誘導は分からないが、だからこそ、カントの超越論的演繹論を想起させるような、知るという行為の過程が想定されるのだ。