ぼくのすべての、恣意的と思われる言動すらも、ぼくの本性の必然から生じているということは、ありそうに思われる。つまり、すべては全き運命の展開なのだ。そこにおけるあらゆるぼくの言動には、すべては運命の展開のためのものであるという点で、本質的差はないだろう。ぼくのすべての言動は、ぼくの運命の重みを等しく荷っている、と思うことができる。 

 

運命とは、ぼくの根源的な意志のことであり、恣意的な意志すら、その恣意性は見かけだけのものであり、根源的な意志に掴まれている、と思うことができる。 じじつ、そのように思ったほうが、ぼくは精神的に安定していられるようだ。 どんなぼくの言動も、ぼくの根源性を離れていない、と思うことができるのだから。