初再呈示 (本文そのまま)    

 

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中村紘子さんが亡くなられたそうだ。まだ72才。もうすこし生きられるひとではなかったかなと思い、やや不自然な感じが主観的にはする。この方の演奏はステージで二度ほど聴いている。最初に聴いたのは、チャイコフスキーの「偉大な芸術家の思い出」、トリオ曲で、生演奏そのものにぼくは強い印象を受けた。 亡くなられたのが、ぼくが奇しくも「初恋」を書いたこの時期と重なった。この方は、ぼくの初恋のひとと、人間の印象がたいへん似ていらっしゃるのだ。そのためにファンになった。この方の作家の御主人(講演を聞きに行ったこともある)の若い頃の写真の印象が、ぼくによく似ていて、見た最初の瞬間に相当どきっとした。これははじめて言う。太宰と志賀、そしてこの御主人の三人が、素質的類縁性を直感してぼくがはっとした有名人物だ(自分の意志で築く後天的人生経緯が違うのは当たり前だ)。紘子さんと夫婦になられているのを知って、ああ、このタイプはやはり運命的に合うのだなと、勝手に自分のことのように感動し、のぼせていたものだ。 ぼくのほうの経緯は、その経緯のなかでぼくの受けた印象からの推測しか言えないので、多分本質において間違いないと思っているが、相手のプライヴァシーに関わることでもあるので、これはいっさい言わない。  中村紘子さん評もしない。


 ぼくは、現代社会は、ひとの天寿をまっとうさせない社会であるという、不信感を持っている。勝手な悪魔が支配していると思っている。母の死以来そう思っているかもしれない。ひとの死が不自然で、なにかのつじつま合わせに感じられる社会、それは最悪の社会だろう。それを思わせる現象に接すると、いつも腹立たしい。最近奇妙な腹立たしさが持続している。半分は、利用するために接しているシステム・報道世界が与えるものだ。現実そのものが腹立たしいのだが、言うまでもなく伝え方、選択の仕方が殆ど意図的に愚劣だと思うことがありすぎる。


ぼくはいま、あまり多くを語れる状態でも気分もないので、本質的なことのみ言う。この方のことだけではないが、元気に生き活動していたひとの記憶というものは生きていて、そのひとの魂とともに生きているのだとぼくは感じ思っている。これは信仰だということでよい。しかしそもそも人間は、感覚と感情と意識と信仰を分けられるものだろうか。そして、これらと独立した知などというものが実際に人間にとって意味あるもの、実在的なものとして成立しうるであろうか。〈感情と信仰は尊重するが、実際の認識はそれとは別だ〉という見解、もの分かりのよい唯物論者の見解は、ひとつの見識ですらなく、なんの意味もない架空の虚言だという思いは、ぼくのなかでますます強くなっている。ぼくはもちろん、科学の知見というものを否定するのではない。それをありのまま受け入れる。しかし受け入れるというのは、その都度の科学知を批判的に限界づけつつ受け入れるのである。けっして、科学知が充分に検証しえていないものは充分に信じることもできないものだ、という暗黙あるいは公然のスタンスまで、受け入れる謂(いわ)れはない。それ(そういうスタンス)は科学的であることとはまったく別のことで、個人の〈主義〉にすぎない。こういう問題はいまさらあらためて解説する気も起きないほど、哲学的には明瞭なわかりきったことで、いまだに哲学的態度が不在の日本社会の未成年的ナイーヴさのために親切心をここで出す気もない。学問的唯物論は、それ自体が人間のリアリティに反し、自己分裂しているという意味で、非人間性を隠し持っている、仮面の誠実さである。そういう仮面につきあうのをそろそろやめたらどうだろうか。
 ヤスパース『哲学』第一巻「哲学的世界定位」の、このみずから第一級の科学者である著者による、堅実で周到な科学批判(カントの理性批判と同じ意味の)をお読みなさい。







聞く資格の無い狂気の阿呆どもは死んでおれ。 ぼくは、人間の心のある者にのみ語る:

ぼくの初恋の希望が消えたとき、ぼくのほんとうの孤独の道がはじまった。ぼくの魂の半分であると信じていたそのひとが、ぼくの魂から消えて、充たさなければならない空洞をかかえたまま生きなければならなくなったときに。そこからいまの現在までの道はもうまっすぐである。そしてやっと、きみへの信仰をみいだした。それがどういうものかをずっと書いてきた。だから、この「初恋」のことだって、きみのまえでそのまま語れたのだ。そうでなければこのぼくの歴史のことを「初恋」だなどと呼べもしなかっただろう。