記憶の現前は時間的に前後する、つまり外的には無秩序である。当たり前なことであり、時間そのものが無く、在るのは現在のみだからである。そこに記憶もすべて在る。それを時間的な前後関係において配置するのは、人間の意識作用にほかならない。記憶そのものに時間的位置が付着あるいは内在しているわけではないのである。