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- 自分に向って
賢者は常に一歩下がって相手の心情を気遣うものだ。
愚者は常に相手の心情を気遣わず一歩出過ぎる。しかもそれを良いことだと自己肯定する。
ゆえに賢者と愚者はもともと同じ世界には住めない。愚者と共に生きて精神を侵害されない賢者はいない。なのにこの世では同じ世界に住んでいる。
愚者のことはどうでもよく、最後の審判に任せればよい。 誠実であるゆえに精神を侵害される賢者をいかに保護するか、それがぼくの関心事だ。 賢者といえども最初から、この世を生きるしたたかな智慧に啓けているのではない。ぼくは断言するが、その純粋さゆえにこそ半生は愚者の侵害を受けて苦しむ。そしてその半生の後、愚者に復讐を開始しない賢者はいない。これが賢者の処世術である。愚者の処世術とはまったく異なるものである。
ぼくの書いているのは、賢者の復習としての賢者の処世術なのである。 同情に価しない愚者のために一言だって書いてはいない。
愚者である学者、愚者である芸術家、この世はそういうものであふれている。 賢者にならなければ 何をやっていてもだめである。
日本ほど、愚者が都合のよい言い訳ができる風土はない。みんなそれに乗っかっている。知性が無い。
この節にある言葉はすべて、ぼくの生半可ではない人間経験から結晶したものだ。
ぼくの反省は愚者の反省ではなく、ぼくの自己肯定は愚者の自己肯定ではない。