自分のために初再呈示 

 

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勉強の次元に進めない者は、一生遊びの次元に留まらなければならない。そういう者が多いのだろう。だから、人生は遊びだという世界観がうけるのである。しかし勉強の楽しさは遊びの楽しさではない。問題の世界観を唱える人々も、愛は何かと問われて尊敬であると答えるとき、やはり人生は真面目なものでなければならないことを認めているのである。このことは、勉強の楽しさは遊びの楽しさとは別次元のものであることを認めることに通じている、とぼくは思う。勉強の楽しさのなかには、愛は尊敬であると観ずることの嬉しさを根源とする気持が生きている。なにかに忠実でありたいと思う気持のない者は、勉強すら遊びにしてしまう者である。学問研究者のなかにもそういう者はいくらでもおり、そういう者のほうが多いくらいである。 尊敬すること、すなわち忠実であること、そして勉強のなかには遊びとは別次元の楽しさがあるのを実感すること、これらはすべて同じ意識根源のものであり、そこに進まない者は、人生とはなにかをけっきょく知らないで人生を終える者である。 

 

 

人生には、大事にしようと思うものがなければならず、大事にしたいと思う気持がなければならない。 

 

 

 

なぜこういうことを書いたの? 

 

ぼく自身の勉強生活のためだよ。量より質のね。