この点について いっさいの善悪を超えて理解するべきである。ぼくにとっての世界(そのなかにぼく自身も現存している)は、ぼくの本性の顕現そのものなのだ。いわば、ぼくの本性の必然しかこの世で展開していないのである。自由とは この宿命のことでしかない。このことにぼくは満足しか覚えるべきではない。それいがいのところに自由をもとめるから、因果の恐怖や不安、じぶんが縛られ罰せられるという思いが生じるのである。