絵とは何だろう。人間の真理・真実の探求にどれほど寄与するのか。そういう問いを抱えるほど、絵とぼくの間に距離が現在あるので、じぶんでも描かない。
たとえ、絵でなくてはこの探求はどうしてもできない、という場合があっても、それはそう感じる個人にとってであって、他の個人は絵とは違う次元でそれを探求するだろう。ぼくは言葉をつかう思索でそれを探求する。
いつか、これはどうしても絵で表わしておきたい、と思うような真実がぼくにあきらかになるだろうか。だがそのときのために絵の修練を重ねていなければならないのだろうか。
自分から外に逸らせるものならば、ぼくにはいかなる学芸実践もわずらわしく、よけいなことへの執着にしか思われない。
ルオーのように、どうにも描くしか仕方がなく、描きながら探求した、というのが本当だろう。個人の運命なのである。そのルオーにして、「へぼ絵描き」と云われつづけた。 真摯で、常識・体裁を顧みない者にたいし、かくも、「世」に留まっている者らは、酷いのである。