自分の本性から為すことは、自由な行為であり、かつ、必然な行為である。 

 

そのかぎり、〈為さないこともできた〉という思いは、妄想である。いつもぼくは、自分の本性からの行為のみをしている。そしてその行為はいつも正しく、ぼくに果報のみをもたらす。 

 

想定的な外的基準でぼくの行為を測ってはならない。このほうが妄想なのである。