人間は、どういう経験や状態でも、それを受けているかぎり、それをそれなりに享受し楽しむことができるように造られている。これは一種の防御機構だ。だからといって、それを逆手に取って、本人がそれによって苦しんでいる場合の経験や状態も、それが生じるのは、本人がそれを欲し楽しんでいるからだ、とするのは、まったくの詭弁でありトリックであると、ぼくは思う。 

 

 

嫌いなものを凝視するのは、じぶんの精神的志のために或る程度必要だからだ。だが、だらだらと凝視すべきでは勿論ない(そんなことで遊んでいたら霊から叱責をうける)。 批判はまだ創造ではない。