初再呈示 


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《また更におもしろいのは、この無際限に展開するかに見える想像の中に、「自分」が自ずと圏をなし、ある制約を持っていることである。私は自分の愛する南仏海岸に愛情にみちた家を建てた。そこで贅沢と趣味をつくした。けれども私はヴェルサイユ宮殿を決して建てなかったし、レンブラントの絵を十数点も壁に掛けなかったし、ミケランジェロの巨大な彫刻を廊下に据えもしなかった。途方もない空想の中でも私の理性が干渉して、「柄にない。これでは実感に遠く嘘になる」と遠慮したのだろうか? 理性が介入するのだとすれば、「どうせ空想だ。それでひもじい腹がくちくなるわけではなし、神様王様以上の想像をしたって損はしない」方に働くはずであろう。私が敢てヴェルサイユを建てず、レンブラントを十数点も欲ばらなかったのは、私の過去の集積がある運命力のようなものとなって、私の将来とか未知の世界に抛物線を描き、私のあらゆる可能性を予定規約する限界を作っているのであろう。これは、どこまで行っても「自分みずからが予定する」のではない「自分」が常に存在するからである。》
 

 きみの魂は、魂自身の方で、きみを待っている。〈自分探しの空しさ〉が言われて久しいが、こんなみごとですばらしい気づきがぼくたちを待っていたんだね。ぼくがなにかつけたすことがあるかい。