ぼくが耐えているのに、よく言いたい放題するものだ、と思う相手がいて、破局はその忍耐のうちに堅固に時間をかけて築かれ、突如、しかし時熟して落ちる果実のように爆裂するように、人間一般がそうなのだ。そういうことをいつも心するのでなければ、だれともつき合うべきではない。人間は、相手が耐えていると必ずいい気になる。だが人間はほんらい恐ろしいものなのだ。平静で寛容にみえる相手にこそ、その底力を想定して、慎まなければならない。責任をもつとは、自分に覚悟する一歩一歩である。倫理はそれいがいの意味をもたない。みんな、人間関係における倫理の意味を知らない。相手を恐れ、相手に慎むことなのだ。