世のなかに生きていると、どうしても雑音が入ることがある。それが不可抗的なものであれ、じぶんの責任によるのであれ、似たようなものである。境界は引けず混じっている。 自分の世界を護りとおす意志があれば大丈夫だ。その意志があるかないかが、純粋者と俗物とのちがいであるとしか、ぼくには思われない。 ぼくは本性的に俗物にはなれないように造られている。そういうぼくに、ぼくは信頼している。 

 

 

 

世の高慢者とぼくとは、そこが本性的にちがうとしか、ぼくには思われない。その高慢者が、集合容喙被害者であれ普通者であれ。おなじ人間なのにどうしてこうもちがうのだろうか。 

 

いまぼくはほんとうにぼくの本心を言った。世への映りに配慮することなく。