波動次元を上げよということがしきりに言われるが、つまり、試行錯誤を限界までして飛躍するということである。限界まで試行錯誤しないと、飛躍が本物にならない。 

 

現存在に在るかぎり、試行錯誤は必ずある。真の融通無碍は、試行錯誤と飛躍をともに生きることができることである。 

 

それがわからなければ、ぼくの書くことがわかるはずもない。ぼくはいつまでも遅滞しているのではない。昏迷することにも自由な自分を知っているのだ。 

 

 

ヤスパースの哲学を自分のものにしていれば、そういう意識運動がよく分かる。 ぼくは悪魔にやられっぱなしなのでは全然ない。よく自分を精神的に再建できたと感嘆するのが、この七年なのである。 

 

 

 

試行錯誤しない者は、する者より高いのではなく、簡単にみえる途を選んだだけ高慢で幼稚で実際は低いのである、とぼくは思う。 それに、試行錯誤じたいが無意味だとはぼくは全然思わず、むしろ大人物は みな、試行錯誤を徹底して大人物になっている。 現在のスピリチュアリズムは夜郎自大の小物を量産しているだけである。 

 

 

人間に大事なのは教養と品格である。 これが学者にも哲学研究者にも全然欠けている。スピ系かじりやその亜流にあるはずがない。

 

 

品格・教養のある者は、みずからのそれを感じていても それを自己主張しない。 絶対的意識の羞恥が働いているからだが、あまり分別のない向きには、ぼくは敢えて自分の品格・教養の深遠なることを自己主張しようと思う。 ぼくの品格・教養に見合う者しか ぼくは相手にすることはできないのだ。ぼくはもう堪えてばかりいようとは思わない。