ピアノはぼくにとっていまや楽しいからするものではない。じぶんのなかで折り合いをつける事柄である。ぼくの本業は思索なのだから。これいじょうの遅滞はゆるされない。
逆にいうと、ピアノをするようになったことが、ぼくの生活を組織化するという実践的思索を、思索そのものとしてぼくに課すようになった、ということである。
そのときの衝動で、好きだから、では人間の生活ではない。内的促しにしたがいつつ、どう生活に組織化するか、である。ピアノのおかげでその方向にゆくことができるようになった自分に気づく。
そういう生活の再建を、ヤスパース研究に生きることができなくなって以来、ぼくはずっと望んできたのだ。
これに努められないのなら、ぼくは人間として失格だ。
〔ほんとうに真面目な者には、悪魔が邪魔をする。森有正がそうだった。ぼくもさんざん悪魔から邪魔をされてきた。人間というのはここまで悲惨なのだ。〕