美術家といっても多様であり、これは全体論ではなく、ぼくの経験から汲んだものである。
美術に携わっている者の欠点(落とし穴)は、人間の内と外とは同一であるという深淵な真理を逆手にとって、案外、外からのみで人格を判断することである。そもそも、人格性が充分であるような美術家が少ないから、美術家自身のものの観方も甘く、俗なことが多い。それなのにじぶんは ひとを本質的に観ているというとんでもない思い違いを平気で押し通す。だから、じぶんの得意と思っていることで、普通人よりももっと奈落へ落ちるのである。
人間は人格である。美は、品格であるような人格である。
その美をもとめているはずの美術家こそ人格があさましいのを、ぼくはみてきた。どうにかならないものか。
ぼくがこう書くと、くしゃみをしている者がいるだろう。 そのとおりだということだ。
ひとのことはわかるつもりでいて、そのためにじぶんの価値を自惚れている程度の低い者は、分野を問わずいくらでもいる。
何でも言って許されると思っていられるのは最初のうち。さいごには、ぼくの密かに感じていた罪を償わされることになる。