ぼくを舐めているところのある者は、ぼくとは絶対にうまくゆかない。なぜなら、舐めるとは、じぶんが優位にあるという意識であり、つまり優位(優劣階級)意識が間に入っているということであり、これは、そのうえでぼくをどんなに敬愛(尊敬・尊重)していると言っても、絶対に本来の敬愛(尊敬・尊重)の念とは両立していない、つまりほんとうの敬愛の念はないからである。驕っている。その自覚の有無にかかわらず。  

 

 

これはぼくが過敏だとか、要求が大きすぎるということではない。ぼくは本来の正常な関係しかもとめていないのだ。 

 

 

 

「驕る」、この一語は大事よね。 

 

ぼくもいつも反省すべきことだよ。 意識や知識で優位に立とうとする者はね、必然的にかかる病気なんだ。 国語辞典にすばらしい例文があった: 「知に驕る者をいましめる」、というんだよ。

 

 

誠実さと良心から批判しているつもりの者が、じぶん自身がもっと大きな罪をなしている、ということがいくらでもある。驕りの罪だね。 

 

じぶんの驕りを反省できない者が、ほんとうに寛大になれるはずもないよ。横着な傲慢にすぎない。他も反感と怒りしか覚えない。 

 

 

寛大でなければならないという寛大は無い、愛さなければならないという愛は無いように、ということね。 

 

本物でなければ全部嘘だよ。