じぶんの世界に相手を取り込むのが、自己中心(主義とすら意識していない)である。 これにたいし、相手の世界をじぶんの世界と同様に尊重して軽々しく関与しない態度が個人主義(態度として自覚されている)である。 相手への思い遣りとは、感情的に相手に関与(それによって相手をじぶんの世界に取り込む)することであるよりもむしろ、じぶんの世界から相手を解放することである。そうしてはじめて、主観的ではなく客観的な、相手への思い遣りが出来るのだ。 

 

 

じぶんの言動への相手の反応を詮索することは、自己中心的なことであり、じぶんの感情の満足に配慮することである。これは、相手の感情を気に懸けるようでありながら、真に相手を思い遣ったり、相手に配慮したりすることではないのである。 ぼくが上で、「主観的ではなく客観的な、相手への思い遣り」という言葉で意味しようとすることは、こういうことなのである。