去年のきょう! 

これを去年書いたということが信じられない。 もっと早く書いていたとしか思えない。それほどぼくにとって古典的な見解なのだ。 

 



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外的なものに屈従した者は、まず、じぶんがそれを選択したのであることを忘れ、その外的なものが必然であると見做し、他者にも必然であると思い込み、他者にそれを〈諭す〉ようになるのだろう。ぼくはこの過程を推測で書いた。ぼくはこの屈従を選択せず経験しないから。

日本人の多くの者の卑しさは、こういう選択により、みずから生じさせているのだろう。