このことを書いておきたくなった。すなわち、集合容喙被害者の人格である。異次元悪魔が加害するのは、善良な人間の苦しむ波動を吸いたいからだなどという、被害者性善論を立てる傾向が世にあるが、ぼくはこれには疑問である。無論、加害側が比較を絶して悪いので、これまでぼくは、被害側の問題性を言わなかった。被害の深刻さは、被害者の人間性の問題とは、とても釣り合う程度のものではないのである。被害を代わって受けてよいような人間は無数にいる。しかしそれでも、被害者のなかには、こいつ やっつけてやろうか、と思わせるような、言語道断に高慢な人々がかなりいるように思う。表面は繕っているが、実体が、反感を受けて当然の性格の者がかなりいる、とぼくは思っている。勿論、ぼくのように、「資格あるもの言い」もいて(じぶんのことをよく言う、と思われるかもしれないが、ここをはっきり言わなければ、ぼくも混同されたままになり、本意ではなくなるので、ご理解いただきたい)、迷惑を被っている者も、稀にはいるだろうが、「資格のないもの言い」が多く、その鼻持ちならない断定を相手の面前でするような、ぼくだって、へこましてやろう、と怒るような者がかなりいる、と言ってよい。その臆面もない自己正当化の態度が、浅薄で軽々しいのである。浮いていて高慢である。

 異次元の悪魔的存在も、人間以下だが、被害者も、日常で、目をつけられるような引っ掛かる言動を積み重ねていなかっただろうか。あの存在は、程度は低くても、隠しておけそうな点まで、なかなかよく見ているのである。軽々しく正義漢を演じているような者は、いちばん被害者になる可能性が高いだろう。向こうだって反感を覚えるような者である。 そして不思議なことに、これは人格的に本物だ、と思わせるような生き方をしていると、被害はやがて軽減して、普通の日常とほとんど変わらないような状況にまで改善される。 この一事を言っておきたかったので、もちろん異次元存在の無謀は、人間一般にとってゆるしがたいことだが、聞きぐるしいようなことまで、一筆した。