欲求不満のストレスは、精神的な怒りとは区別されて、しかしやはり怒りとして、ぼくのなかに働いている。これを言葉にし文にするのは、それだけで或る種の鎮静作用がある。 

 

奪われた日常の生活気分への欲求不満は、日頃冷静で公共にたいし協力的なぼくのなかにも、強烈な我意が存することを、自覚させた。このことをぼくは良いことだと思っている。この我意あっての人間だ、という手応えのようなものである。公共の言いなりになってたまるか、という人間の尊厳感情である。社会と個は、最後まで対立矛盾する面がある。それを自他に隠蔽せず生き貫くのが人間の醍醐味であり、人間が人間として生きるということなのである。