《詩人にそなわった本来の意味での詩的能力、すなわち、ある人物の姿を直接みとめ、根源的回想という時をこえた実体から詩作する能力を信ずることの方が重要であろう。 

 ・・・・・・じつは内的にも外的にももうとうに存在していたが―――運命的に現実のディオティーマとなって現われる―――、すなわち全く一定の振動だけを受けつけるアンテナが、明白にこのような振動をもっている人を見つけ出す、いわば夢遊病者のように、しかも内面では最高度に目覚めて見つけ出す、このようなことがおこる場合、それは詩的な力、すなわち感じとり形成する張りつめた力の、適確さを示すものにほかならない。このような緊張の法則は外的現実と内的現実をへだてる壁よりもはるかに強い。そのあいだの壁は合理の世界では高々と築かれているように見えるが、詩的な力の前にはうすいものなのだ。 

 この精神的な人物が「ディオティーマ」という名をとるのは、そののちイェーナ時代の稿(『ヒュペーリオンの青春時代』)のなかである。この名はプラトンの『饗宴』からとったのであるが、そのなかでとりわけディオティーマの声が愛の思想を展開している、だから「愛の司祭」なのだ。一年後にヘルダーリンはズゼッテ・ゴンタルトに出会い、そのなかにディオティーマをみとめたのであった。》 

 

 

 

ウルリッヒ・ホイサーマン「ヘルダーリン」 130頁 

 

 

 

それにしても何という卓越した文章だろう!