学者は虚飾、信徒は偽善、美術家は高慢、が伴うものである。
このうち、最も真の謙虚を会得していなければならない美術家の高慢が、最も由々しきことだとぼくは思う。
美術家こそ、真の思惟・思索に生きなければならない。日本では、これが難しい。美の探求の傍らは、世間ばかりで、「神」がないからである。これでは美の探求そのものがほんとうでなくなる。
ねえ、どうしてこういう(美的観点からは)つまらないことまで、この時間帯に書くの?
言葉が不意にまとまるとね、書いておかなければ落ち着かないんだよ。真理を探す精神の生理みたいなものだね。
もひとつまとまったから書いておこう。分析や信念だけの人間はけっきょく嫌われる。ひとが好かれるのは、感じる人柄による。こういうことにもぼくは正直であろう。理屈で騙されることが多すぎたよ。知や倫理と友情とは、何の関係もない。いざ困ったときの友情とは、どんなものだろう。押しつけの友情だね(友情でもなんでもない)。