初再呈示  こういうこともしっかり書いていたのだ。 楽しい!



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聖ベルナールは「脱魂」の経験があったというが、幽体離脱の証言なら、古今東西にある。そういうことが精神的にどういう意味を持つかは措いて、身体浮遊も、睡眠中に経験するものは、脱魂(体から魂が脱出する)経験である可能性が高いとぼくは思っている。顕著なそういう経験をぼくは自分でパリに居た時にした。起きた時、しばらく、いつもと世界感触がちがっていた。自分が此の世に在るということが、とても新鮮に感じられた。この経験を或るひとに手紙で報告した程だ。グライダーのように地面から体が浮いて滑空する経験なら、しばしば夢のなかでしていたが、これはそれと違っていた。「いきなり上から持ち上げられた」のだ。夢の中で聖書を開いて祈っていた。すると上から引き上げられて室の天井まで持ってゆかれた。そこから机とベッドが見下ろせた。それからさらに「上」のほうへ顔を向けさせられそうになったとき、恐怖をおぼえた。「上」にあるものをもしぼくが見たら、そちらに吸い込まれて地上へは戻ってこないと直感したからだ。今なら、望むところだが、当時は論文も書いていたし、まだ此の世ですることがあると思っていた。自分の事情をぼくは心で訴えた。するとその「力」は、ぼくの思いを聞きとどけたという様子をぼくに感じさせながら、こんなに優しい気遣いがまたとあろうかという感触で、それはそれは丁寧にそうっと静かに、ぼくをベッドの上に「着地」させてくれた。「思い遣り」とはこういうものだよということをぼくに感触させてくれる、扱い方を実感させてくれた。当時書いた手紙のコピーを見たら、もっとなにか付けたす言葉があるかもしれないが、あれはたぶん一度のみの特別な経験だった。あの「着地」の仕方だけなら、ほかのときにも幾度か経験したことがあったかもしれないが、あの「上から持ち上げられた」経験は一度だけだったと思う。ほかにも、これは日本に帰ってからだが、目覚めると、あきらかに、憶えてはいないのだが、心はほんとうの幸せと喜びの経験をしていたと感じたことがある。起きているときよりも「生きて」いたのである。ほんとうの愛の経験をしていたということだけははっきりとまちがいなく、その「残照」によって実感していた。