こんな すばらしい節を昨年書いていたのか!!!

 



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ぼくは、復讐の神を、ぼくの求める「神」とは、主観的には一応別に立てた。これもぼくの魂からの欲求であったと思う。すると、ぼくのなかに余裕が生まれて、復讐すべき人間にも、人間的にしてやろうという気持が生じてきた。これは意外な結果である。やはりこれが人間というものであって、満たされる(べき)ものが満たされると、つぎの境位に進めるのである。魂の欲求は、ほかの外的な欲求とは違って、どんなものであれ、いわゆる善悪の概念を超えて、満たしてやるべきである。観念で蓋をすることはできない。人間が神を創造したのは、まぎれもない創造であって、魂から創造したのである。およそ魂こそ創造の根源である。魂にとって神は必要なものである。魂は神への信仰に生きる。信仰に生きない魂はない。神は善悪を超えたものである。観念や概念を超えたものしか存在ではないゆえに。だから存在は確信されるしかないものである。何を確信するか。人間は、魂の欲求するものを確信できるのみである。魂の欲求が、信仰においてでも満たされると、魂は魂本来の生を生きるようになる。わるいようにはならない。

 魂は、魂を知るべきである。すると、真剣が何かがわかる。真剣さは魂の本性である。じぶんの内にほんとうに真剣と言えるものを見いだすことと、魂を見いだすことは、同じことである。