ぼくは高校の頃、自己意識が全開になって、自己にのみ集中していた。対象には全然集中できないのだ。対象に集中しようとすると、その瞬間に、「集中しようとする自己」が意識され、集中は「自己」のほうに向ってしまう。こうして、対象は完全に捨象されていた。つまり、そういう自己集中が、外部に関しては意識散漫となる。けっして集中力がなかったのではない。むしろ極度に集中力があり、その集中が、意識構造によって自己に集中しきっていたゆえの、外部への不適応だったのだ。 これはある意味で現在もつづいていると言える。自分に意識を向けているだけで、ぼくにおいては、時間はあっという間に過ぎる。時間がもったいないとは、ぼくも思う。しかしじつはそういう(自己に集中している)無為の時間が、無駄にみえて、ぼくにはいちばん充実している時間かもしれないのだ、と思い、いま、このことを書いているところなのだ。ぼくは、外部のものになど、ほんとうに関心をしめしたことはない。自分の内に応じるものがないのにする勉強などに、ぼくはどんな意味も感じたことはない。ちょうど高校時代、自己意識が目覚めた頃、ぼくは、この自己意識ゆえの、極端な虚無主義にあった。本を読んだからでなく、その虚無主義は、ぼくのまったくオリジナルな根本感覚として、ぼく自身のなかに生じ、在ったのである。外部の歴史が、ぼくに何の関係があるのだ、という切実な実感に支配されていた。昔の人間の使っていた言葉が、ぼくにどういう関係があるので、学ばなくてはならないのか。そういう断絶意識に支配されていたので、ぼくは(どういうわけか)美術クラブに属していたのだが、ここでも、対象を描くという行為が、どうすればそういう行為になるのか、わからなかった。 こういう、自分ではないものに強制して携わされる高校の牢獄から、一瞬でも早く解放されたかったから、そのために、じぶんでも極限の意志力で、大学受験に当たったのである。自分の本性から自己意識に呪縛されていたぼくが、よく、外部対象の学習などに、かろうじてでも携わり、そして合格できたものだ。 

 しかしこういう意識状態は、いまでも本質的には変わらず、時間を、外部的なものとの関係においては無為にすごしてしまう傾向は、以前のままだと思う。それに失望しもするが、天才であるぼくは、自己意識に集中することこそ、本務である、と、外部の基準から独立して、自己を肯定する境地に移るのもよいのではないかと思い、その思いをここに記したつもりなのである。 

 

 まあ、こうは言っても、その後ぼくは、仏語の世界で博士を取った(京都大学出身で同様に博士を取り、日本に帰って大冊を書いて出版した教授職の者をも、ぼくは論文の評価で凌駕している。会った時、あまりに無礼だったこの男に、ぼくは博士取得後、こいつより優秀な成績を記載したぼくの博士証書の複写を、送りつけてやった)のだから、ただのぐずではなく、意識状態で根拠ある苦労をしたことの成果を出した者である。いまやぼくは、この日本という国を文化刷新することも視野に入れている。 

 

 

 

 まあ、それにしてもぼくほど、自分の稀な特性から、この世の馬鹿に苦々しい思いをした者もいないだろう。その仕返しは充分させてもらう。どうして仕返すかは知らないが。