いやあ、なるほどねえ … 

 

どうしたの? 

 

いま、タルコフスキーの『鏡』を観ていてね、スペイン人が途中で出てくるんだけど、作品の雰囲気と全然合わないんだ。それで、なるほど、ロシアの映像作品は、ロシア人の世界なのであって、ロシアの土地が直接に作品に現われているのではない、土地が「風土」化するのは既に土地の人間化、つまり、土地に住む人間の、民族の、鏡としてなのだ、ということが納得されたように思っているところだよ。作品の主題とは別にね、そう思う … 

 

 

 … 卵が先か、鶏が先か、というような問題かしら 

 

 まさにそうかもしれないね  そういった分析的な問い方そのものを止揚するような