この欄を広く読む読者は、ぼくがじぶんをすこしも特別な人間と思っていないことに充分気づくであろう。それがわかるようにぼくは書いている。ぼくは徹底して「人間」であろうとしているのである。この意味でぼくは聖者にも迫ろうとする者である。 

 

このぼくの志向をよく噛みしめてほしい。ぼくは二重に誤解される可能性を承知し、この二面性のなかで開き直って書いているのである。