人間は、愛することを知ることのために、この世に生きている。もうひとつ、殺すことを知るためにも、生きている。真に殺すとは、自分の世界のうちで、その存在を殺すことである。愛する力と、殺す力、このふたつを知るために人間は生きている、とぼくは思う。このふたつの力あってはじめて、自分は自分であることができるからだ。殺すことを誤解する者がいるので、一般に、この力は、愛のように推奨されない。しかし禅で殺仏殺祖が云われるように、これは人間を殺す力である。面と向って殺す気魄、実際に殺すことは、学校は教えない(愛すらも)ので、自分で気づいて得なければならない。(社会のために学校はあるだけである。) しかし「人間」が愛し、殺すのであって、「人間」にもならない者は、愛することも、殺すことも、資格がない。自分が自分になろうとすることを妨げる者は、殺すべきである。しかしぼくのような者を否定しようとすれば、地獄へ落ちる。殺すことは、魂の次元からのみ認容されるし、義務ですらある。魂に目覚めていない者に何の資格もない。魂に目覚めたら、ぼくは否定できない。しかし他の欺瞞者は否定すべきであることを知る。 

 

 

 

魂の美が実現すれば、それを妨げる者はそこで消滅している。しかし魂の美の状態だけで生を持続できないかぎり、無礼な者を殺す力が要るのである。