初再呈示 

既に完成されたことを言っている。 



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ぼくがいままで「謙虚」だったのは、ほんとうに自分に自信があるからで、断定する者たちは、自信がなくて虚勢を張るしかなかったからだ。これがすべて。思い込みと ほんとうの自信とは 違うのだ。虚勢の〈支え〉が、学問(知識)だったり感受性(感性)だったり、気概(意志)だったりするだけ。 誰かぼくに敵う者がいるか? 誰もいない。 

 

長い間迷えるのも、根底において自分を信じていられるからだ。そういう者はなかなかいないとぼくは断定できる。 

 

 

スピリチュアリストも、気づきだけで、煮詰めた哲学や真剣さがないから だめ。 

 

 

 

 

自分の本音を自分に言っているのだ。 聞く者を本来必要としない。聞かれても肯定できることを言っている。 

 

この欄はぼくが自分に向って独白し自分を探求する欄だ。 

この意図は他のなにものにも替え難い。誰も読まずとも書くところにこそぼくのほんとうが現れるという姿勢をはじめから一貫させている。 

 

 

ぼくはこれ(自分への信)を言っても大丈夫。慎重さというものが身についているからね。 真の自己確信というものは、静かで鎮まったものだ。 そういう本質の人間として、ぼくは昔からずっと変わっていない。 

 

 

 

 

ぼくは、来るべき時代の、あるいは、そうあるべきだった時代の、人間である。普遍的人間なのだ。

 

ぼくは静かだが、大人しい人間ではない。