あらゆる儀式は、自己犠牲的で集団主義的本質のものであり、個の自然性を否定するものである。この儀式行為は、日本の日常空間のあらゆる場に浸透しているから、個の合理的自由のためには、儀式行為そのものを否定しなくとも、その日本的硬直性をほぐさなくてはならない。これは日常的に意識してやる必要がある。まずは、ことさらあらたまった正月の風習への服従をほぐすことから。 それが、他への思いやりを実践する余裕を可能にする。儀式への服従でいらいらし、他に当たるのが、日本的心性の改めるべき面である。

 

 

心を籠めるということは、自分のみの個の圏で集中することであり、複数ですることではない。