シュタイナーのある一面にも、ぼくはスピリチュアリストにたいするのと同じ危惧をもっている。彼はありていのスピリチュアリストではないと思うが(ゲーテ論における高田博厚との一致)、それでも、肉体や精神に関して霊的層を七つに分けるなど、自己の純粋な自覚にどれほど役立つのか、やはりそうとう疑問である。そこから尚且つ有益な思想を汲むには、相当批判的に換骨奪胎しなければならない。説そのままはとても受け入れられない。 

 シュタイナーを知らなくても、その思想をぼくはじぶんの根源から生きていることも、充分ありうる。 この本をぼくが書いたことのなかにもそれが認められるだろう。 

 



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ぼくの一語一語に、どんなに冷徹で周到な力が籠っているか、気づく者は、読解力の充分な者である。

 

 

きびしさと甘美さは、じつは表裏一体のものである。

 

きみのきびしさとも向き合わなければならない。


 


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どんな旗を掲げているかではない。実際にどう生きているかである。

 

 

スピリチュアリストは創造主を語るが、実際は神なき生を観念的に生きている。彼らの霊魂説が必然的にそれを強いている。霊魂説の真偽ではなく、霊魂説を抱いていること自体が問題なのである。そういうものを抱いているかぎり神とは向き合えないのだ。つまり、ほんとうに自分と向き合えていない、と言わねばならない。霊魂について知りすぎているということは、自分が純粋になれないということと同じである。

 

哲学の修練をしていないからそういうことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

わたし、あなたのおかげで 神の意識の方向が感じられてきましたわ。

 

ぼくは、高田先生から、教えられたというより、啓発された。ヤスパースからも得られなかったことだね。きみは哲学という言葉を日常語として使っているひとだから、実際の発言よりももっと深くなにかをかんがえているひとだと、きみの表情からかなり濃厚に感じていた。

 

言葉にするのってむずかしいのよね、わたし…

 

それはきみがそうとう深く感じているからだよ。それでなければ芸術はできない。 すぐべらべらしゃべる者が、ほんとうのことなどどの位しっかり感じているか、ぼくはもう全然信用してないよ。

  誠実であることは、感覚をフル回転させながら柔軟にしかし緻密に真面目であることだ。あの演奏をするきみが、そういう実質的な意味で深く真面目でないはずがないよ。そういう意味ではぼくはきみの背中を追ってゆきたい。

 

ありがとう、でも、わたしも この本の理念を追って生きることを、あなたは繰り返しわたしに諭してくださったわ。

 

きみの最も純粋な本質を生き、演奏の路をあゆんでほしかったからね。そのねがいを籠めても、ぼくときみのふたりの前に、この本を置いたのだよ。ぼくの、理解に数十年かかった高田先生の精神だ。人間の路を示してくれている。ぼくにとっても、この自分で書いた本は、恩書なのだ。 この本の路をあゆんでゆこう。

 

ご本の表紙の絵、すてきですわ。

 

ル・シダネルの「黄昏の古路」。ぴったりだね。人生の路だ、神に会遇するための。それは、愛と愛情にみちた路なのだよ。

 

この家であなたと… もう、おやすみしましょう

 

きみと語らい… 一緒の夢の中に眠りたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午後

 

 

 

 

今年のさつき(皐月)は力強い感じだ。純白の花弁の中上部に緑がかった部分が浮かびあがっている。

 

生命力を感じますね。

 

ちょっと元気がないかなと思っていたんだけど、立派な花を咲かせている。中味は見かけによらないものなのだね。人間もおなじだよ、きっと。不調で衰弱ぎみで苦労が多いと自分では思っていても、実質はその分力強く充実してきていることを 本人でもわからないことがあるのだ。しかしやがて咲かせた花でわかるのだ。

 

めずらしく教訓的なことをおっしゃいますのね。

 

じぶんへの信仰を言っているのだよ。あきらめないで希望をもって耐えること。充実してくる魂こそは信仰によってこそ感じることができる。感じられる者にはそれはわかる。 きみにもいつもそれを感じる。そんなに華奢で繊細な神経で、同時にすごく力強い。

 

あなたも。わたしは信じています。