立派。 これも今年の成果。 



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馬鹿とは、じぶんの感じること、かんがえること、信じることが、すべてだと思っている者のことであり、この意味では、美術家にも、学者にも、宗教家にも、いるのである。 ヤスパースの偉さは、こういう独断性を、すべての領域にわたって指摘・批判し、人間を真に自由で公正ならしめる哲学的論理学の思惟を展開したところにある。 

 

ぼくは、そういう者たちを、馬鹿と言う。どれだけ不快と迷惑を被ったか知れないからである。 ヤスパースを学ばなければいけないなどということではない。良識ある思惟を培うことは、人間として誰も避けえない、人生の大課題であることを、ぼくの人間経験すべてが示していることに気づくという、そのことを言いたいのである。 

 

人間は思慮深くなければならない。それは、感受力でも、知力でも、信念力でもない。これらすべての力に伴わなければならないものであり、それが伴わなければ、どんな力も仇花になるような、人間にとって根本的なものである。

 

一言で言って、それこそは知性である。