一か月前の再呈示節だが、ぼくにとってぼくの思想が凝縮されており、結晶・想起されるので、ぼくのために再再呈示する。ぼくはこの路を歩んでゆけばよい。 そろそろここで高田博厚と再会せねばならない。それによってぼくも安定するのだ。 むろん、「あれもこれも」だが、その中心には高田博厚が根づいていなければならない。ぼくは長生きしなければならない。 



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われわれが意識を外部に傾かせると、存在は悪魔が支配するものとなる。これを他律性と呼ぶことができる。

 その心的本質は「不安」である。

 

われわれが意識を内部に留めると、存在は神が支配するものとなる。この主体的内面性においてのみ「神」は思念される。

 その心的本質は「安心」である。 

 

こういうことをぼくは繰り返し言っているのだ。

 この主題はどこまでも深めることができる。

 

「良心からの自由」ということをぼくは言ったことがある。

 良心の奴隷になるな。良心において神と悪魔が巧妙に格闘する。

 

 

すべては思い遣りから展開する。 思い遣りとはまず自分へのもの、自分の本心で愛する存在へのものである。 

 

思い遣りとは単純に優しさではなく、もっと思慮深いものである。

 

孤独にかんがえよ。 かんがえることは孤独なものでしかない。 すべての反省は思い遣りの深化であり主体化である。 それは「集中すること」である。

 

 

自分の内面においてしか「神」は出会われない。外部の遮断を通して外部を捉え直す。主体性において外界を自己内面の窓とする。