日本人がまだよく解っていないことは、日本の学歴教育では、人間の全人的な教養はまだ全然すくい上げられていない、ということである。だから、じぶんが高学歴だということで じぶんを誤解している者が跡を絶たないのである。日本の試験制度では、じぶんのほんとうの実力は絶対に分からない。しかし若いうちは、じぶんの実力そのものが一般にまだ未分化で、分かりようがないので、試験成績が実力の仮の代理をして、自他を幼稚に騙しているのである。この幼稚な騙しに日本人は幼稚に騙されている。ここからも、日本人は知性というより教養を、稀にしかもたないことが証拠だてられているのである。 

 

知性なくして教養なし。これが解る東大・京大合格者が何人いるだろうか、とぼくは経験上思っている。かれらのは単なる知力と知識だ。これとは知性と教養は全く別次元であり、知性と教養がなければ、欧州の学問世界では全く通用しない。臆面なく言うが、ぼくはこの事実を自分の論文で実証したのである(誇大に威張っていた京大出身者の成績は、ぼくの成績より一ランク下だった)。 

 

とにかく日本人は、学校教育で幼稚にさせられて、真の自己意識が生じる遙か手前で、教師は授業などしているから、幼稚の再生産は止まないのである。 

 

 

ぼくもようやく、日本人の意識水準が、「実体実感」をもって分かってきた。学歴に関係なく低いのである。文字の次元で騙されてじたばたしているだけである。