合理的に生きるとは、実在する妖怪との不断の戦いであり、恩寵なしには貫徹されない。これが、デカルトの合理論における神の意味である。合理論は、神の否定などではない。われわれに重要なのは、哲学史や神学ではなく、思想を確立する際の人間の力仕事の発生的了解をすることである。
創造主はあらゆることを仕掛けるから、そういうことを神の示唆と思ってはならない。神は仕掛けない。われわれは、この世にたいし、主体的でなければならない。神が主体的であるように。
合理的に生きるとは、実在する妖怪との不断の戦いであり、恩寵なしには貫徹されない。これが、デカルトの合理論における神の意味である。合理論は、神の否定などではない。われわれに重要なのは、哲学史や神学ではなく、思想を確立する際の人間の力仕事の発生的了解をすることである。
創造主はあらゆることを仕掛けるから、そういうことを神の示唆と思ってはならない。神は仕掛けない。われわれは、この世にたいし、主体的でなければならない。神が主体的であるように。